目黒区に住む上で、目黒区の歴史は知っておくべきだと思います。
住まい情報を見る前にチェックしておきたい点です。
目黒には、約1万6、7千年前の先土器時代からすでに人類が住んでいたと考えられていて、
山の手台地上で縄文文化の一つの中心であったとも言われています。
しかし水田稲作が中心の弥生時代になると、目黒川沿いの低地でわずかに水田が営まれただけで、
台地の上は一面に武蔵野の原野が広がっていたようです。
5世紀頃に大和朝廷の東国支配が始まり、大化の改新から奈良時代にかけて武蔵の国となり、
目黒は武蔵の国21郡のうちの荏原郡に属していました。
目黒の「め」は馬を、「くろ」は畔を表し、馬牧の周囲のあぜ道のことで
馬の牧からおこった地名であるとも言われています。
鎌倉幕府が成立すると東国の武士達はその支配化に入ったが、目黒地域には目黒弥五郎という武士がおり、
源頼朝に仕えたことが記録に残っています。
天正18年(1590年)徳川家康が江戸に入府後、目黒地域は荏原郡に属し、三田、上目黒、中目黒、
下目黒、碑文谷、衾の六か村に分かれており、幕府直轄地や芝の増上寺、東光寺、円融寺の寺領、
旗本神谷氏領などが複雑に入り組んでいました。
幕末の頃には駒場野の鷹狩場はしばしば幕府の軍事調練や砲術訓練の場となっていたようです。
慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還により、目黒を含む地域は武蔵県となって近代日本の幕が開かれ、
明治2年品川県に明治4年東京府の管轄となり、明治11年には荏原郡に属することになりました。
関東大震災、目蒲線(大正12年)、東横線(昭和2年)の開通で、これを契機として農地は宅地に変わり、
住宅地や商工業地域として急激に発展していき、昭和7年に合併して東京市目黒区となり、
昭和18年東京都目黒区となりました。